さらば、愛しきナポリタン
札幌で一番大好きなナポリタンが食べられる札幌の喫茶店「ソワレ」が45年の歴史に幕を下ろし、閉店してしまうことを知った。
建物の老朽化がきっかけで閉店することになったそうだ。
ナポリタンは鉄板に乗っていて熱々で、底の麺は少し焦げている。
バターのコクと煮詰まったケチャップの味が濃厚で香ばしい。
具はたくさん入っていて、ウィンナーにきのこ、ピーマンパプリカ玉ねぎ。
いつもハンバーグナポリタンを注文するのだけど、このハンバーグもふわふわでうまい。
というか、ここではなにを食べてもうまい。
お店の雰囲気は妙に落ち着く優しさがあって、おしゃれさに緊張することもない。休みの日には本でも持ち込んで一日中過ごしたい。
最近流行っているような作られたレトロではなく本当に昔からあるので、可愛さの裏に凄みがある。
ずっとそこにあると思っていたし、ずっと続くとどこかで思っていた。
そんな大好きなお店がなくなってしまうなんて。
あのナポリタンがもう食べられなくなるなんて。
悲しいような、心に穴が開いたような。
母方の祖父母に一度連れて行ってもらった時からソワレとナポリタンの虜になった。それから色々な喫茶店のおいしいナポリタンを食べてみたけれど、またここに戻ってきてしまう。
レシピを調べて自分で作るようになっても、やっぱりあのお店のナポリタンがどうにもうまい。
閉店してしてしまう前にどうにかあの味を記録しておきたい。もう一度だけ食べたいと思い、午後半休を取得してランチを食べに行くことにした。仕事を終える頃には頭の中はもうナポリタンでいっぱい。
お店につくと、ランチのピークは過ぎているはずなのに店内は相当混んでいて、僕と同じようにソワレの閉店を惜しむ常連さんやランチで利用していたであろうサラリーマンの方でいっぱいだった。
いつもいる店員さんのご家族らしき人もヘルプに加わりあっちこっちに駆け抜けている。
伝票がない!という声が聞こえて、忙しいだけで収まりきっていないことが容易に想像できた。
席に着くと、「かなりお時間いただきますけど……いいですか…?」
申し訳なさそうに店員さんが言う。
いいんです。むしろ混んいでるのにすみません。
注文はいつものハンバーグナポリタン。
こんな忙しさのなかでハンバーグナポリタンなんて手間のかかりそうな物を注文してしまって申し訳ない。店員さんは快く注文を聞いてくださった。
そういえば、いつか全メニューを制覇したいと思っていたのだけど、結局いつも同じものばかり食べていた。
写真を撮ろうとフィルムを買ったのにカメラの電池を買い忘れたことに気付く。願わくば最後にフィルムに収めたかったな。
一時間ほど経って、フォークと粉チーズ、タバスコが運ばれてくる。
「まもなくです……!!」
店員さんが、満を持したような口調で言う。
それからほどなくして、いつもの大好きなハンバーグナポリタンが運ばれてきた。いつものように鉄板がジュージューと音を立てて「待たせたな」と言ってくる。「お待ちしてました。よろしくお願いいたします。」
鉄板に近い底の方は、一番おいしいので上から食べる。
焦げは最後に残しておきたい。
一口食べると、濃厚なケチャップが口いっぱいに広がってとんでもなく美味い。
調理担当はおそらく一人で、途方もないくらい忙しかったと思うのだけど、変わらないクオリティで本当においしい。
僕がやっていたら、料理を出すだけで精一杯だったろうにな。
「伊達にやってないんだぜ」
45年間の凄みみたいなものを感じた。
一口を30回くらい噛みしめて、ゆっくり味わう。
途中から粉チーズとタバスコ。この組み合わせも、おいしいんだよね。
鉄板近くで少し焦げた麺はケチャップをまとってさらに香ばしくなっていて、グラタンの上部分みたいなありがたさがある。
レシピを知りたいけど、それはおこがましすぎるってもんだね。
聞いたところで、鉄板に染み込んだ45年のうま味は出せない。
「あっ」
うまいうまいと食べているうち、何気なく運んだハンバーグがが最後の一口だった。
食べ終えてしまった。
噛み締めていたはずが、気づけば夢中で食べていた。
ああ、ほんとうにおいしかった。
幸せを噛み締めてあじわった。
店員さんと記念写真を撮る人、「おいしかった」と颯爽と出ていく人。
みな口々に別れを惜しんでいて、でもとても幸せで満足そうな顔をしている。食後のアイスコーヒーを飲んで店を出る。
またいつか、あの空間であのナポリタンが食べたい。
美味しいナポリタンとコーヒをありがとう。
そして、45年間お疲れ様でした。